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koto-b-ura-1.png湖南焼・永樂保全「金襴手内染付雲鶴文鉢」_底

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1851-1854/嘉永4-嘉永7

高(H)9.2 × 口径(WD)15.5 × 底径(BD)7.4 

銘(サイン) 染付銘「於湖南永樂造」

滋賀県立陶芸の森陶芸館/The Museum of Contemporary Ceramic Art, The Shigaraki Ceramic Cultural Park

湖南焼・永樂保全

1851 − 1854/嘉永4 − 嘉永7

 

 

滋賀県大津市長等山下、札之辻、または園城寺下鹿関町で焼造された陶磁器。京焼の名工・永樂保全が1851(嘉永4)年に、円満院門跡覚諄法親王の支援を受けて開窯。窯名は作中に記された「於湖南永樂造」、「大日本湖南 永樂保全造」「湖南/長等山/永樂造」の銘に由来している。伝世品には、当時の文人趣味を反映した煎茶の道具が多く認められ、祥瑞・古染付とくに赤地金蘭手には名品が多い。1854(嘉永7)年に保全が亡くなり廃窯となった。

永樂保全(1795-1854)は、千利休好みの茶道具を手掛けた西村善五郎家の十一代当主で、大名家や宮家・摂関家などに招かれて御庭焼を指導、名工としての地位を確立した。明治時代に入り本姓とした「永樂」の陶号は、偕楽園御庭焼への出仕の際に紀州藩主徳川治寶から「河濱支流」の金印とともに拝領した「永樂」の銀印に由来する。

「金襴手内染付雲鶴文鉢」

本作は優美で落ち着いた趣をもつ、保全独特の作風を示す名品のひとつ。赤絵具を全体に施した外側に金襴手で雲と飛翔する鶴が、見込みには染付で松竹梅などが描かれている。金泥を用いた針彫りで描いた鶴の翼などに認められる細やかな表現は、まさに名工に相応しい技といえるでしょう。当時の文人趣味の流行を反映した有職文様や吉祥文様の意匠構成とともに、非常に格調の高い作品に仕上げられている。