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16b06de26b81975d3cb23f13f7f0ef70.jpg色絵金銀彩葵神事図鉢_胴 

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19C前半/江戸時代
高(H)9.2 × 口径(WD)15.5 × 底径(BD)7.4 
色絵銘「鳴鳳」、箱書「葵神事図鉢/臨星楼/鳴鳳(焼印)佳品散人」
滋賀県立陶芸の森陶芸館/The Museum of Contemporary Ceramic Art, The Shigaraki Ceramic Cultural Park
湖東焼(Koto Ware) 湖東焼は、江戸時代後期から明治時代に彦根藩領内で焼造されたやきものの総称。絹屋窯時代と藩窯時代そして藩窯閉鎖後の民窯時代の三期に区分される。なかでも藩窯時代の湖東焼は地方窯随一の名声を誇り、当時の流行を反映した文人趣味の煎茶器を中心に、染付・赤絵・金襴手・青磁などの名品が焼造された。その華麗な作風を支えた絵付師として、客分待遇の鳴鳳と幸斎、民業赤絵の自然斎や床山玉侊、賢友そして赤水らの活躍が認めらる。直弼の死で藩窯時代は幕を閉じるが、廃絶を惜しむ声が多く後に民窯として度々再興された。

鳴鳳絵付「色絵金銀彩葵神図鉢」

本作は、京都の上賀茂神社と下賀茂神社の例祭「葵祭」の行列を描いた鉢。中国の文人趣味の意匠が多い鳴鳳の絵付けの中では、珍しい作例である。見込みの流鏑馬図(やぶさめず)は安永九(一七八〇)年に刊行された京都の地誌『都名所図会』巻五の藤森神社の祭礼の挿絵からの引用であり、外側の祭礼図は一部に巻六の鴨下上皇太神宮の御社の項の葵祭の指を反転させて引用している。