宮川香山「青磁船形花入」
Vase, Made by Miyagawa Kozan
明治時代/1869-1912 | |
高(H)14.8cm、口径(MD)30.7×7.6cm、胴径(D)46.7×12.1cm、 底径(BD)22.4×5.3cm | |
田邉哲人コレクション/Tetsuro Tanabe Collection | |
宮川香山
(1842-1916) |
1842(天保13)年、京都の真葛ヶ原で陶器業を営む家に生まれた宮川香山(本名・虎之助)は、家業である陶器造りを学び、父や兄の死により、1860年(万延元)年若くして家督を継いだ。そしてその10年後には、新天地横浜にへ移住し、窯を築いて制作を試みる。ところが、窯業地ではない横浜で、築窯や材料の調達をはじめ、陶磁器製造工程の全てを行うのは、並大抵のことではなかった。香山は素地となる陶土を求めて各地を巡り、ようやく適した土を見つけると、職人を増やして少しずつ制作を軌道に乗せていった。1871(明治4)年太田村(現・横浜市南区庚台)での開業から、5年後に開催されたフィラデルフィア万国博覧会では、香山の作品は銅牌を受賞。これを契機に、宮川香山の名前と眞葛窯の作品は、世界へと知れ渡っていく。(展示図録55頁より転載) |
青磁船形花入 |
青磁は、古くは玉を模したとされ、青みが買った翡翠の淡い色から常縁樹の濃い色まで多彩な色合いで器面を彩って入る。水を伺る龍と風に耐えて飛ぶという想像上の水鳥を船先に付けた龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)のうち、鷁首船をかたどった器面は半透明の淡緑色に発色し、側面は白泥を盛り上げた波濤に飛翔する龍が彫り込まれている。貴族の船遊びとして、二隻一対として使用されたため、同様の龍頭船も存在していたと考えられる。(展示図録77頁より転載) |